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最近の出来事


2021海外学術調査フォーラム・フェスタ(2021年6月20日、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)オンライン参加

 2021海外学術調査フォーラム・フェスタは、未だ新型コロナウイルス感染が社会的な免疫状態にないことから、自宅からのオンライン参加することにした。

 星 泉(AA研 所長)の挨拶で、従来から親身にして頂いてきた人間文化研究機構理事の窪田順平先生が2021.5.25に急逝されたことが報告された。

田島和雄先生(当時、愛知県がんセンター副所長)から講演依頼があり、“SARS報告”を2003年の海外学術フォーラムで講演することになった時に、具体的な講演の準備等でお世話頂いたのが海外学術調査フォーラムの担当の窪田順平先生であり、それ以来、海外学術フォーラム・東京外大AA研の海外学術調査専門委員(学外委員、医学領域)として活動して来た。この新型コロナ感染症のパンデミックの最中の2021海外学術調査フォーラムでその窪田順平先生の急逝を知ることになり、ご冥福を願うと共に感慨深いものがあった。

 

 フォーラムの3つの講演、帯広畜産大学の平田昌弘先生の「乳文化の視座からの牧畜論考」、名古屋大学の中塚武先生の「高分解能古気候復元による歴史学・考古学の新たな展開」、東京外大の河合香吏先生の「人類進化理論の新展開:社会性の起源と進化の事例から」は、それぞれ興味ある話題であったが、専門外の参加者としては、やや発表時間が短かったの印象が残り、専門用語が多くて、充分な理解が出来ずに、消化不良の感があった。しかし、ラウンドデイスカッションで、個々の質問への発表者の回答で、ある程度の理解が得られたものと思われる。願わくは、一つのテーマに1時間程度の講演であれば、より理解が深まると思われ、フォーラムのオンライン開催の次の機会があれば、その改善点と考えられた。


 午後のこの海外学術フォーラムの前身である海外学術総括班の流れからの全体会議の日本学術振興会担当者の「科学研究費の執行についての説明と質疑応答」があった。この新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックにて、ただ単に海外調査は難しいとして却下された研究計画申請があったのかとの質問に対して、一般論として、そう云ったことはないということであったが、実際に、審査結果が開示されたものの中には、それを理由に挙げていたものがあったようで、審査員への通達が十分には浸透していないものがあったようだ。


 その後、例年であれば、地域別分科会に分かれて、話題提供の講演と参加者間での学術的な話題の交換が行われてきたのであるが、今年は、フェスタとしてポスター発表+15分の説明の形式で行われた。5つのZoomでのDiscussion Roomsに分かれて、それぞれで3つのポスター発表が行われた。

 今年のフェスタのポスター募集で、応募が少ないと云うことでもあり、ヒト癌の全遺伝子解析が可能な時代になり、病理疫学的研究と云うと、かび臭い研究と思われるかなと思い、関係しているヒト乳癌の研究に関して “ヒト乳癌の病理疫学的研究の新たな戦略”と云う表題をつけて、病理疫学研究も捨てたものではないことを発表することにした。

 

 2021年海外学術フォーラム・フェスタ(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、フェスタオンライン発表、2021.6.20)で、ヒト乳癌の病理疫学的研究の新たな戦略A new strategy in the path-epidemiological study of human breast cancer、蓮井和久(鹿児島大学)、王嘉(大連医科大学)、原博満(鹿児島大学)を発表した。この発表は、3つの世界的なヒト癌の全ゲノムデータベースを、解析ソフトを開発しつつ、変異の意味の理解には多くの医学・生理学的データベースの参照し、ヒト癌の全ゲノム解析結果を報告したThe ICGC/TCGA Pan-Cancer Analysis of Whole Genomes Consortium Collaborators expand. Pan-cancer analysis of whole genomes. Nature 578; 82-93, 2020.の中からヒト乳癌の全遺伝子解析の現在の状況を抽出し、実際のヒト乳癌での臨床病理学的特徴とその治療方法の現在の関係を病理診断プラクチスから要約して、我々の考える病理疫学的研究の方法とそれから導き出される研究成果について考察した。少し15分のズーム発表に入りきれなかったが、ポスターを提示してあったので、興味も持たれた方々には理解して頂けたと思われた。質問が3つあった。

 

(質問1)中国のヒト乳癌はホントに違うのか? 

これから我々の新たな戦略の病理疫学的研究で見つけ出すと回答した。しかし、一般に中国での悪性腫瘍は発展途上国型の増加傾向を示し、より若年患者が多いことから、上記のヒト癌の全遺伝子解析の一つの結論である遺伝子の変異量と診断時の年齢に強い相関があることは、より若い患者という意味は、より強い発癌因子の影響下に短時間の多くの遺伝子変異が生じていることを意味し、ステージ別の患者の診断時の年齢の順位検定で、同地域内でのヒト癌に集積した遺伝子変異の量と質的な差の有無が、外的発癌要因による問題か遺伝背景や生活習慣といった各個人の内的発癌要因による問題かを、ヒト癌のステージ別で評価できることを示唆した。

(質問2)ヒト乳癌の治療と今回の発表内容と関係は?

今回、病理診断プラクチス等から要約した治療法に関して、まず、早期診断そして早期治療が原則であることを説明した。化学療法が必要な場合には、現在始まっているがん関連遺伝子のパネル解析により、ドライバー遺伝子情報等から適切な化学療法が選択されれば、より治療効果が期待されると共に、標準治療から初めて幾つかの化学療法剤を使用する場合と比較して、医療経済的にも意味があると説明した。

(質問3)何か言いたいことは?

ヒト癌の発生する組織におけるプログラム細胞死に関しては、十分に検索されておらずに、我々の新戦略の病理疫学的研究の方法も、細胞増殖と細胞死のバランスの崩れが過形成病変を生じ、その中に、がんが発生するのを幹細胞、がん幹細胞のマーカーや細胞死のマーカー、それに、酸化DNAマーカー等を用いて検出ものであると説明した。

また、免疫学的チェックポイントからの逃避による癌細胞の免疫学的サーベイランスを、早期癌病変での免疫学的癌細胞の排除像を検索することは、そう云った免疫学的癌細胞の排除像が認められないのであれば、早期癌の段階から免疫学的チェックポイント療法の導入が期待されるし、それは、癌ワクチン療法の開発にも将来的には発展していく研究の端緒になると思われる。

 

発表の準備と発表で、ヒト乳癌をテーマに挙げたが、どうも我々の新戦略の病理疫学研究の方法は、今後のヒト癌の研究方法の一つであり、現在の人体病理学での免疫組織化学診断学とは異なる、もう一つのヒト癌免疫組織学的(分子病理疫学的で免疫組織化学的な)研究分野であると思えた。

 

参考文献

ICGC/TCGA Pan-Cancer Analysis of Whole Genomes Consortium Collaborators expand. Pan-cancer analysis of whole genomes. Nature. 2020 Feb;578(7793):82-93.

黒住昌史 免疫組織診断とsubtype分類 pp.38-43, 堀口敦 乳腺温存療法と予後 pp56-62. 癌診療指針のための病理診断プラクティス 乳癌 専門編集 黒住昌史、総編集 青笹克之, 中山書店、2011

 

 


鹿児島日独協会創立50周年記念(2021.4.25)

新型コロナウイルス感染症の第4波が襲来する直前の2021.4.25にかごしま県民交流センターで開催された。大きな会場で、3密を避けての開催であった。

 第1部は、ドイツ室内管弦楽の生演奏を久しぶり楽しんだ。このコロナウイルス感染症のパンデミックの隙間をついての開催で、やや緊張感もあり、つい寝入ってしまう時もあった。音楽関係者は、久しぶりのコンサートであり、かなり興奮気味の趣きもあった。ドイツの夏の週末を過ごした田舎町での教会での小さなコンサートを思い出し、ドイツ旅行は少なくとも2年後かなと思った。

 第2部の野口芳子氏の幕末にベルリンのヤーコブ グリムを訪ねた3人の日本人がいて、これが日独の文化交流の先駆けとなると思われるそうだ。この3人の日本人は、日本側に記録がないが、ヤーコブ グリムの家族の手紙にそれを示唆する文章があるそうだ。その3人とは、幕末の1861年の幕府の遣欧使節団に参加した陪臣である福沢諭吉、松木弘安(寺島宗則)、箕作秋坪であるようだが、慶応大学を創設した福沢や専修大学を創設した箕作らの報告書や著書にもその記述がなく、幕臣でなかったことから日本では記録に残せなかったと推測されるそうだ。また、この3人と関係者がグリム童話を日本に紹介し、ヤーコブ グリムの共通言語、教育、法律といった分野の功績を、ドイツ的教育として明治期に導入したと考えられるそうだ。詳しくは、大野寿子編 グリム童話と表象文化の中の野口芳子の同名の論文を参照下さい。

 

 日本の歴史の見方が外国の記録から大きく変わって来ることは、

1) 日本の戦国時代末期とアジアでのスペインとオランダの覇権を争った背景に信長、秀吉、家康のキリスト教対策と日本の銀、優秀な堺製種子島火縄銃等での日本の軍事力があってことが、イエズス会記録やオランダ東インド会社の記録から明らかになって来ていること、

2) 明治維新でも、先月急逝された下竹原啓高氏が言うように、幕末から明治への維新の背景に、アメリカ南北戦争の終結で、余った最新式銃等の薩摩の豪商の濱崎太平次の日本と東アジアにまたがる国際的企業“ヤマキ”による導入が大きく明治維新の原動力になり、これは、恐らく、イギリス東インド会社の記録やトーマス グラバーの記録に記録があるものと思われる。

3) 明治期でも、昨年度末に急逝された村田長芳名誉教授が講演されたことのある明治期の高木兼寛と森鴎外の脚気論争の後日談の鈴木梅太郎のオリザニン発見がノーベル賞の受賞者選考記録から日本からの推薦がなかったことで受賞を逃したことが判明している。

 こんなことを思いつつ、明治期のドイツ傾倒も、まだまだ、多面的な出来事であった可能性が高いのかなと思われた。

(講演後のロビーでの野添良隆先生と野口芳子氏の交流)


病理学会2021

2021年の日本病理学会総会は東京の京王ホテルで4月22日〜24日に開催されると共に、ウェブ開催され、ウェブ参加した。

この期間は、自宅で、コンピューターの前で、ズームのオンライン参加で、興味のあったシンポジウムや特別講演、宿題講演等を聴取した。その後、オンデマンドで参加可能なもので、専門医更新に必要な単位の取得を行なっているが、学会に参加しても同時間に開催されるものから一つしか参加できないが、オンデマンドで提供される講演は網羅的に聴取出来て、勉強になるようだ。今後、このオンデマンドでのWeb開催は続けて行って欲しいと思われた。

 オンデマンド配信されない講演で興味が持てたのは、やはりAI化の現状に関する講演であった。内視鏡や画像診断ではデイープラーニングの手法もかなりの進歩があり、AIアシスタントでの内視鏡検査や画像診断は、既に実用段階であることが報告された。同様に、病理標本の診断に於いても同様な進歩が見られていた。しかし、異口同音に、デイープラーニングに用いられた診断に依存しており、複数のシステムでの対比的な統合は、困難なのか?まだ、試されていないのか?興味があるところであった。所謂、癌診断では早期病変の認識や確定診断とされる所見等での差は乗り越えられない問題であれば、より客観的な癌診断の方法の確立が必要なのかなと思われた。

 遺伝子解析でのAIの導入は、所謂、癌の遺伝子パネル解析では個々の癌に最適な化学療法の選択に活用され始めているが、エクソン解析後の98%をも占めるゴミ領域と呼ばれる非コーヂング領域が遺伝子モンタージュ等で遺伝子の発現調整をになった領域であり、エピジェニックと表現される機構の本体であり、全遺伝子解析で対応する必要があるのだそうだが、充分に研究されていない領域であり、特定のスーパーコンピューターのプログラムで可能なものもあるようだが、商業ベースで維持が難しく、何時まで利用可能なのか不透明なのだそうだ。しかし、病院のAI化に伴い先端的診断・治療を推進していく病院では、全遺伝子解析と世界中の研究の網羅的検索が行われるようだ。そして、非コーヂング領域の遺伝子の機能解明に従って、先端的診断・治療が進歩して行くようだ。

 リキュウイッド バイオプシーでは、循環腫瘍細胞よりも、やはり、環境DNAの手法とエクソソームのマイクロRNAを対象としたものが現実化して来ているようだ。早期がんの段階でもがん細胞は特有なマイクロRNAを含むエクソソームを分泌しているのだから、有望だ。今後を期待したい。

 


奥村晃久先生を偲ぶ会(敦煌会8月例会、令和2年8月16日、和くうかん)

 奥村晃久先生が、令和2年7月28日早朝に亡くなられた。令和2年4月25日には、快気祝いを敦煌会有志で行い、元気な姿を見ていましたが、その後、再度入院され、時折の電話やメールでは、すくなくとも今年の暮れまでは頑張れそうと話されていました。7月28日に先生の訃報の連絡を受けて、そんな、早すぎると云った思いではありましたが、通夜に敦煌会メンバーと駆けつけて、その受け入れ難い先生の死を確認できた次第でした。法事であれば、49日とでも言うべき日ですが、令和2年のお盆明けに企画された敦煌会メンバーの瀬戸口さんのぶどう園でのぶどう狩りの機会に、国分の和くうかんでの偲ぶ会を行い、奥村晃久先生の好きだったビールで、お盆での見送ることが出来ました。先生らしい偲ぶ会でありました。(写真は、大学院のイスラム圏女子教育プロジェクトの専門基礎抗議の打ち上げに参加されて、学生さんとビールを楽しみながら、交流されている奥村先生。2014.8.21. カフェ アーバーで。)

 奥村晃久先生は、国際学術活動にも熱心で、国際分子病理学シンポジウム、日中病理学シンポジウムのパルピン、長春、瀋陽会議に参加されると共に、私達の中国東北地方のヒト悪性腫瘍の病理疫学的学術調査にも参加されて、文化交流と共に学術交流でも、大きく貢献されました。更に、出雲周二先生の中国のHTLV-1関連疾患、特に、HTLV-1-associated myelopathy (HAM)を見出そうと云う海外学術調査でのHTLV-1 meeting in Chinaには、私と一緒に参加されて、彼の卒後間もない時期に派遣された奄美の古仁屋で、当時未だ認識されていなかった成人T細胞白血病に遭遇し、変わった白血病と思われて、臨床記録等を保存されて来たそうで、その貴重な経験を発表された。

 その一方で、学生時代からの社会医学研究会からフィールドワークに重きを置いていて、堂園先生の”風に立つライオン”プロジェクトに賛同されて、実際にインドでの学生研修に協力され(この話は、鶴陵会報に報告されている)、故中村哲先生のペシャワールの会に賛同して、アフガニスタン訪問は出来なかったそうだが、パキスタンまでは行かれたそうだ。

 

 また、佐藤榮一門下として、鹿児島生協病院病理部長時代には、故佐藤榮一教授の叱咤激励を受けて、病理解剖症例検討会を実施されて、興味深い症例を記録し検討された。更に、私の大学院での専門基礎の講義を受けたイスラム圏の女子教育プログラムの学生さんとの打ち上げにも参加されて、国際交流に貢献され、敦煌会でも、アクティブメンバーとして活躍されました。


敦煌会7月例会一泊旅行と講演(明治維新と濱崎太平次)

鹿児島で新型コロナウイルス感染症の発生のない日々が続いていた6月中旬の例会(中華菜坊陸羽、6月17日)に指宿白水館の下田原社長が野添先生の誘いで参加されて、大いに盛り上がった。その結果、7月例会は、白水館への一泊旅行で、下竹原社長の“明治維新と濱崎太平次”と題した指宿ゆかりの薩摩藩の幕末の豪商であった濱崎田平次についての講演を企画することになった。

 日程等や予約の方法の打ち合わせを行なって、7月例会の案内を出していた所、鹿児島県知事選挙の応援の集会後に多数の者が老舗のニューハーフのショウパブで気勢を上げた挙句に新型コロナウイルス感染症の100人規模のクラスターが発生した。クラスターでは、一部で3次感染が生じたが、一週間程で収束して来たが、老人介護サービス施設にも、県外から新型コロナウイルス感染症が持ち込まれたが、十人単位のクラスターで収束していたことから、数名で集まり、検討して、会場も特に感染の危険性も十分に配慮されたホテルであり、実施を決めて、予約等をホテルの予約センターに申し込むことになった。開催の日程が、丁度、国のGoToトラベルに該当することが判り、社長にGoToトラベル企画に参加予定であることも確認されて、丁度良いタイミングの一泊旅行となった。しかし、当初は20名を超えそうであった参加者は、日帰りの3名を加えて12名となっていたが、参加者の2名が、それぞれ、老人介護サービス施設での新型コロナウイルス感染症の直前の発症があり、その利用者の家族はPCR検査は陰性であったが、その家族の介護サービスが中止となり、その分の対応で、参加者予定者が参加出来なくなった。最終的な参加者は、佐藤夫人、厚地夫妻、吉村先生、坂江夫妻、野尻夫人、野添夫妻、蓮井の10名となった。

 7月25日(土)、午前中の病院の診療を終えて、急ぎ帰宅して、迎えに来た通称森山バスに乗り込み、指宿へと向かった。今回は、参加者全員が、この森山バスに乗って行けた。午後4時前に、白水館に到着した。ホテル玄関には、アルコール消毒、テレビモニターでの顔色での発熱チェックがあり、フロントのあるロビーでは、ひとつ置きの座席、チェックインの混みを避ける並びの動線が指定されていた。チェックインの手続き中に、下竹原社長のお迎え受けて、野添先生は、早々に、社長の講演は、ホテルの他のお客さんにもアナウンスして聴衆を増やそうかと相談されていたが、三密を避ける為に、この敦煌会のメンバーに森山バスの運転手の森山さんの参加で適切と言うことであった。

 

 チェックして、別棟の離宮の部屋に入り、先ずはのんびりした。この離宮には、貴賓室はないが、最上階に、小泉首相時代の日韓首脳会議の参加者やロシアのエリチン大統領夫妻が宿泊されたそうだ。

 下竹原社長の講演“明治維新と濱崎太平次”は、30名前後の定員の会議室で、ゆっくりした間隔で座して、6時過ぎから45分余りで行われた。

 薩摩藩の琉球支配体制が、藩財政に逼迫した斉興の時代に、茶坊主の調所笑左衛門を家老にして、表裏の財政改革を行った。その一つが、密貿易であり、それを担ったのが没落していた山木屋を琉球の黒糖業者と富山の出汁昆布業者の間の物流を基礎に、琉球から中国(上海、廈門、広東)とフィリピンのルソンに支店を展開(現代の商社の先駆けを組織)した濱崎太平次であった。1) この時期は、アメリカ南北戦争でアメリカ南部の綿花生産・供給の低下で上海市場での綿花暴騰が起こり、濱崎は国内の綿花を二束三文で買い集めて上海市場で売り抜けて、800億円相当の蓄財を行った。この時期には、表裏の財政改革に成功しては財政は蓄財が始まっていた。更に、2) アメリカ南北戦争の北軍の優勢が決定的になったゲチイスバーグの戦い以降、イギリスの南郡への武器や船舶の供給を停止し、ダブついたこれらに加えて、アメリカ南北戦争終結後のリンカーン大統領による余った最新の武器の売却決定を受けて、長崎のグラバー(イギリスのジャーデイン・マイセン社(東インド会社)の長崎支配人)を介して、綿花暴騰等での蓄財でイギリスとアメリカから船舶や最新の武器の購入に到った。これが、薩摩と幕府との最新武器での格差を生じた。幕府はその最新武器での格差解消をフランスへの借金で賄おうと画策するに至った。

 斉彬の密貿易の幕府への密告で、調所笑左衛門は切腹し、濱崎太平次は上海へと身を隠した。彼らの薩摩藩への蓄財はその後も継続していたと考えられ、その薩摩藩の蓄財が明治維新を引き起こす財源になったと考えるのが当然のようであると言われる。明治維新は、斉彬、久光の藩政下での西郷・大久保らの良く知られた明治維新の表の物語と共に、薩英戦争、薩摩英国留学生派遣、パリ万博での幕府と薩摩琉球国の抗争の結果であると理解されるのだが、調所笑左衛門と濱崎太平次の功績は忘れてはいけないものであるそうだ。

 更に、濱崎太平次は、明治維新の4年前に大阪で客死しているのだが、彼の山木屋の大番頭だった川崎正蔵は、濱崎太平次の死後に退社して、川崎郵船を興している。濱崎太平次の」山木屋は現在の商社の先駆けであったが、既に、分社化にも対応しており、濱崎太平次の客死後には、彼の血縁者に関する記録もなく、大番頭だった川崎正蔵がその 分社化の構想を実施したのではなかろうか。その後、川崎グループを率いた松方幸次郎が巨万の富を得て、松方コレクションを作っている。これは、幕末期の豪商である濱崎太平次の先見性が、現在の日本の文化コレクションの確立にも寄与しているようだ。

 

 下竹原社長は、若い頃に、三菱商事に勤めていて、経済からの視点でも明治維新を理解する必要があると考えているそうである。

因みに、日本史の中で、何故と思われる秀吉の朝鮮出兵?や徳川幕府成立後の過剰となった戦国武士は?と言った問題が、スペイン王のキリスト教を浸透させて、種子島銃を日本刀鍛治職人の技術によるヨーロッパ銃よりも優れた改良種子島銃等で武装した日本人による中国征服案があったが、秀吉がその戦費をスペインの支配下のフィリピンから調達しようと計画したことと共に、スペイン王と秀吉の死により頓挫したが最近のヨーロッパでの記録の発見で明らかなり、、また、スペインと競合し台頭したオランダの東インド会社による余剰戦国武士の傭兵がインドネシアの世界の香料貿易の拠点のスペインの城砦の攻撃に動員され、石見銀山の銀がオランダ東インド会社の世界戦略の経済を動かしたことも、最近ヨーロッパで発見された資料から明らかになっている。これらは、明治維新も、濱崎太平次の環東シナ海商社として山木屋の商業活動とイギリス東インド会社と薩摩藩の経済革命との視点も明らかにされるのだろうなと思われた。

 

 講演を記念して、野添夫人が敦煌会を代表して、花束の贈呈を行った。

 その社長の講演の話題は、夕食会である敦煌会例会での活発な会話を誘導して頂いた。少し興奮した会食と会話を終えて、その後、鹿児島に帰られる佐藤夫人と野尻夫人を見送り、各自は客室に帰り、お酒も入ったこともあり、風呂は明日の朝として、早々に寝ることになった。

 

 翌朝は、6時過ぎには目覚めたので、大風呂に行き、美味しい朝食を摂ってロビーに来たら、下竹原社長が、薩摩伝承館に、パリ博覧会での薩摩琉球勲章の本物と幕府も企画したが幻に終わった勲章のデプリカが2階に展示してあるので一緒に見に行こうということになった。歴史家でもあった先代社長の誕生日を記念してこの薩摩伝承館は建てられたもので、時にコンサートも開かれる一階があり、焼き物等も展示されている2階にその勲章を見ることが出来た。

 

 また、白水館は、メデイポリス国際陽子線治療センターの宿泊施設の運営も行っていたので医療観ツーリズウムの実情を聞いてみると、既に400例ほどの中国からの患者の治療逗留の実績が積みあがってきているそうだ。

 

 

 

 

 

 その後、GoToキャンペーンでの還付申請に必要な書類をチェックアウトで受け取り、下竹原社長の見送りを受けて、森山バスでホテルを発った。殿様湯と言う今も入浴出来る温泉の脇の江戸時代の温泉跡を訪ねた。海岸に建つ濱崎太平次像を見て、市街地の公園の一部にある濱崎太平次のお墓を参拝し、濱崎太平次の旧宅跡は市街地の中で判然としなかった。

 

 

 

 

 

 指宿駅前の蕎麦屋長寿庵で昼食をとり、鹿児島に帰って来た。


名倉宏先生が亡くなられた

 

名倉宏先生が亡くられたとの連絡が次女さんからあった。闘病中にも、国際分子病理学シンポジウムで訪れた街々の思い出を、旅番組を見ては、語られていたそうである。名倉宏先生のご冥福を願いたい。

 

国際分子病理学シンポジウムに関しては、その記録や報告は、鹿児島大学リポジトリにアップロードされているので、敦煌会議、成都・九寨溝会議、昆明・大理・麗江会議、ウルムチ・トルファン会議、鹿児島会議、西寧会議にて、ネット検索が可能になっている。

 

 この国際分子病理学シンポジウムの日本側の病理関係者では、そもそもの発起人であった東海大の渡辺慶一先生、福大の菊池昌弘先生、熊大の高橋潔先生、鹿大の佐藤榮一先生に次いで、東北大の名倉宏先生が亡くなられた。この世代の病理の先生方は、めっぽう教育熱心で、皆さんが中国からも留学生を受け入れた経験があり、留学生が帰国後も、交流を続けられておられた。このシンポジウムを機会に、帰国している留学生を訪ねることがしばしばあった。きっと、この面々は、天国でも、国際分子病理学シンポジウム天国分科会でもやっているのだろうと思われる。

 

 私の名倉宏先生とのもう一つの接点は、免疫組織化学である。血液病理を専門にする一方で、研究方法として、組織化学を用いて、HTLV-1関連病変の解析を行なって来ている。取り分け、HYLV-1 pXの産物を検出しようとして、旧西ドイツのリューベック医科大学のフェラー教授の教室のメルツ教授にImmunoMax法を学び、更に、改良したsimplified CSA法を確立したりしていた時に、大学院基礎専門課程での講義として、酵素抗体法のヒト病理組織への応用解析と云った講義を持つことになった。その講義の所謂教科書として、名倉宏先生らが編集された酵素抗体法を使わしていただく了解を頂いた。その講義の講義資料は、鹿児島大学リポジトリにアップロードされている。その後の大学院でのイスラム圏の女子教育プロジェクトにて、その講義は英語での講義となった。こちらは、まだ論文にしていない部分があり、講義資料のリポジトリへのアップロードは行なっていない。近々、論文化を行って、講義資料のアップロードを行いたいと思っている。

 

 したがって、名倉宏先生の思い出は、国際分子病理学シンポジウムでの後会議での次開催に関してのご示唆と共に、酵素抗体法の先生といった側面がある。最近の抗原回復免疫組織化学は、ほとんどのヒト蛋白を固定パラフイン包埋標本切片で標識出来る抗体が作成されていて、抗原回復の適切な選択と適切な抗原検出感度の検出系を選択すれば、ほとんどのヒト蛋白等の局在を、病理組織切片で標識することが可能になっている。従って、実際の研究では、抗原回復別と検出感度別のコントロール染色の提示が必要になっている。最近のヒト悪性腫瘍の全ゲノム解析にて、腫瘍細胞の増殖に関与するドライバー遺伝子や変異等は、今後の化学療法等での最適な薬の選択に寄与するだろうが、腫瘍細胞の微小環境や抗酸化反応等におけるドライバー遺伝子や変異は、今後のヒト悪性腫瘍の治療の標的であり、その解明には、ヒト病理組織標本での酵素抗体法が有用なツールとなると思われ、酵素抗体法の開発の先人達の業績の再評価が行われるものと思われる。


観音ヶ池千本桜 2020.4

 

2020年の春は、新型コロナウイルス感染症の流行で、会合や宴会の自粛に加えて不要不急な外出の中止で、穏やかに生活を過ごす日々である。

 

オーストラリアでは、ランダムに選んだ人々をPCR検査して、顕在化している新型コロナウイルス感染症患者数の2倍の感染があることが示唆され、USAでは、大規模な抗体検査で初感染者と既感染者の実態の解明が企画されている。日本では、患者のクラスター分析と対応・加療で、関東と近畿では患者数の急増とそれに見合った医療機関の体制が追い付かない状況が生じ、医療機関での院内感染等も生じている。

 

一方は、鹿児島では、県外からの少数の患者が確認されるのみで、クラスターは生じていないようだが、昨年暮れからの中国からのインバウンドに由来する顕在化しない感染が存在する可能性も示唆されている。

 

 しかし、桜の季節が来ていて、観音ヶ池千本桜も風情のある満開を迎えていた。このひと月で、新型コロナウイルス感染症の終焉が期待されるところである。


ヒト癌全ゲノム解析論文

 

新型コロナウイルス感染症が世界中を巻き込んでいる状況ですが、1月にネットのニュースにヒト癌の全ゲノム解析の総説的な論文(The ICGC/TCGA Pan-Cancer Analysis of Whole Genomes Consortium. Pan-cancer analysis of whole genomes. Nature 578; 82-93, 2020.)が出たとあったので、読んでみることにした。

 次世代シーケンサー解析の初めてのまとめ的な論文であったが、ドライバー変異遺伝子の検出では、まだ、アルゴリズムや解析ソフトの未熟さから、既に解明されているものは、その候補リストに加えて検討したそうである。平均して、一つの癌種で、4~5のドライバー変異遺伝子等が見られ、従来の多段階発癌仮説で云う独立したヒットに相当するのかなと興味が持たれた。また、変異の生じ方にも、巨視的なパターンがあるそうで、従来のウイルス感染等でのゲノムへのウイルス遺伝子の侵入へのAPOBEC3B等での修復が結果的には遺伝子変異が生じることなども、その巨視的な変異のパターンの一つに挙げられていた。また、分子時計的な解析結果の評価方法では、ある癌化前に生じた変異は多くのコピーが生じて検出頻度も高いが、その後の変化(プロモーションやプログレションでの変異はコピー数も少なくて検出頻度も低くなり、深い検出解析が必要となると言っていた。また、変異遺伝子が対象だからかもしれないが、癌の複製不死化ではTERT関連の変異が挙げられていたが、低悪性度や慢性型の癌種では恐らく細胞死からの逃避による不死化は遺伝子変異の側面からは解決できない問題なのかと思われた。

 

 血液病理分野での成人T細胞白血病の全ゲノム解析結果も論文になっているようで、その翻訳レビューもネットで読めた(Kataoka K et al. Integrated molecular analysis of adult T-cell leukemia/lymphoma. Nature Genetics 47, 1304-1315, 2015. 成人T細胞白血病における網羅的な遺伝子解析、片岡圭亮、小川誠司、ライフサイエンス新着論文レビュー)。残念ながら、上記の論文の分子時計的な解析は行われていなかった。

 

短絡的かもしれないが、正常T細胞、生体内のHTLV-1感染T細胞、慢性白血病型、急性白血病型に分けての全ゲノム解析でのそれぞれの対比的解析で、癌化前のドライバー変異遺伝子等の蓄積の状況、癌化での重要なドライバー(変異)遺伝子、そして、プログレションで生じたドライバー変異遺伝子と整理することで、HTLV-1の発癌の特徴の解明とそれぞれの病期での治療における標的ドライバー遺伝子が明らかなになってくるのかなと思われた。

 


第29回北前船寄港地フォーラムin鹿児島(2020.2.2城山ホテル鹿児島)

 

午前の部の「北前船と鹿児島」をテーマに、以下の鹿児島の壮々たる歴史家によるパネルデイスカションが行われた。コーデイネーターは、志学館大学教授の原口泉で、パネリストには、西郷南洲顕彰館館長の徳永和喜、鹿児島市維新ふるさと館前特別顧問の福田賢治、尚古集成館館長の松尾千歳、西郷隆盛研究家の安川あかねであった。薩摩藩の財政改革の中で、家老の調所広郷による認可されていた琉球口での北海道の昆布やアワビを北前船で仕入れて中国に売り込んだものが、北前船の琉球を経た中国への航路延長を意味すると言うことであるようだ。ただ、北前船は沿岸に沿った航路を行く千石船であるが、琉球と中国の間は、外洋型のジャンク船であるが、薩摩と琉球の間は外洋航行が可能だった薩摩型の千石船があったのかなと思われるそうだ。この調所の時代と西郷隆盛の時代は重なっておらずに、維新前まで、奄美の黒糖の専売による薩摩藩の蓄財も続いていたようで、調所の薩摩藩の財政改革は維新への原動力であったことは揺るぎないものであるようだ。

 

 

基調講演2は、歴史家 磯田道史の「なぜ薩摩は強い国か」と大変興味ある講演であった。

 

 北前船は、本来、瀬戸内の農業で、綿花栽培に魚肥が必要になり、当初は千葉から入れていたが、千葉でも魚肥を要する様になり、北海道のニシンを魚肥にと言うことで、北前船が発展したのだそうだ。

 

 この綿花栽培は米栽培で依存した各藩の石高が決まり、それ以外の農産物への税金がかからない江戸時代の税制により、米作以外の農業ができる農民は富んでいたのだそうだ。ここで、この米作以外の産物から藩収入を増やす方策を実施出来た藩が「強い藩」であったそうだ。

 

また、米作に依存していても、肥後の藩士教育による藩政の改革が財政改革も成し遂げたそうで、蔵の外にまで米俵が積みあがって肥後藩邸を見て、長州や薩摩藩は、肥後藩に学び、藩士の教育レベルを上げたそうで、これは、調所の財政改革よりも50年先行して実施されていたそうである。

 

 更に、維新前夜の薩摩の実情を探った密偵の報告が見つかっていて、薩摩の貧困ぶりは相当なものであるが、米作よりもサツマイモで生きて行ける背景があり、奄美の黒糖や琉球口での中国貿易で藩の専売体制を築き易い市場から遠いと言うこともあり、薩摩藩の財政を豊かにしたと考えられるのだそうだ。

 

 藩士教育、財政改革に加えて、薩摩の郷中教育も、直面した問題への多面的な解決策を先んじて考える習慣を育む側面があり、西郷隆盛等の郷中教育世代が維新の難局を乗り越えるパワーになったと考えられるのだそうだ。

 

 まだ未だ、磯田先生は話し足りなかった様であったが、眼から鱗の話題であった。

 


令和元年忘年会

令和元年、今年の忘年会も、余すところ、敦煌会の12月例会を残すのみとなり、師走感を感じている。

 鹿児島日独協会のクリスマスパーティーは、例年の谷山教会の御堂でのコンサートは、中村かしこ教授の企画による鹿児島国際大学音楽科の関係者による古楽器(リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、19世紀ギター)によるコンサートで、特徴のある音色に聞き惚れた。その後のクリスマスパーティーで、浜松のピアノ博物館のように古ピアノ演奏のCD集等があるのかと聞いたが、まだ、作製されていないそうで、残念であった。


佐藤榮一先生を偲ぶ会

2019.11.10 佐藤榮一先生の一周忌と偲ぶ会を、百合子夫人が開催された。

偲ぶ会は、昭和8年会の吉村先生の司会で、日独協会関係の岩男先生、山原先生、友人の厚地先生、弟子の瀬戸山先生、坂江先生、米澤先生、中村先生、後藤先生、山中先生、松下先生、坂本先生、私(蓮井)の佐藤榮一先生との思い出のテーブルスピーチが行われて、故佐藤榮一先生の幅広い交友と弟子らへのそれぞれへの心ある対応が偲ばれた。


稲荷神社(鹿児島県日置市湯田)のヤッコウソウ


村田長芳名誉教授の瑞宝中綬章の叙勲を祝う会(令和元年10月10日)

立て看板と村田長芳名誉教授夫妻と発起人会メンバー


鹿児島大学医学部バスケット部OB/OG会"スピリッツ”総会2019.3

初代顧問の故井形昭弘先生の遺影を手に、挨拶する現スピリッツ会長の出雲周二先生(左)

久しぶりに参加された医学部バスケット部創部メンバーの古賀和美古賀総合病院会長(右から二人目)と前スピリッツ会長の皆越眞一先生(右から一人目)、秦立比古先生(左から二人目)


天文館公園イルミネーション2018.12


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